夕爾の句鑑賞

鈴木直充主宰

木下夕爾

1914年広島県福山市に生まれる。家業の薬局を営む傍ら、詩作・句作に励む。1965年8月50歳にて没。
1944年より安住敦の俳誌「多麻」に投句。1946年「春燈」入会。1956年句集『南風集』、1959年句集『遠雷』を刊行。 1961年広島春燈会を結成。詩集として『田舎の食卓』、『笛を吹くひと』などがある。
没後に刊行された『木下夕爾詩集』で、第18回読売文学賞を受賞する。

今月の句

No.7

毛糸あめば馬車はもしばし海に沿ひ

この句は「毛糸あむ人」、「馬車を繰る人」、「馬車の拵え」が抽象化されている。
 この馬車は農具と作物を乗せるありきたりの荷馬車ではないだろうか。その荷台に馬を進める人の妻がのっている。妻が家族の毛糸を編みはじめると馬車はゆくりなくも海沿いの道に出たのだ。農家の夫婦は明るい海の陽光を浴びながら馬車の揺れに身をまかせている。
 この十七文字のなかに自然美、労働美、人間愛が凝縮されている。

これまでの鑑賞句

久保田万太郎の選を経て「春燈」創刊号(昭和21年1月刊)に載った作品。万太郎は詩人、俳人である夕爾句の詩韻の高さをいち早く見抜いた。夕爾の家は広島県深安郡御幸村(現・福山市御幸町)にあり、瀬戸内海から内陸に少し引っ込んでいる。港のある福山か尾道へゆく途次であろうか、遠くから雷のように海鳴りが聞こえてきた。海岸で大波が崩れる音が夕爾の胸を打つ。鬱々とした海鳴りを背景に銀色に輝く芒を手折る夕爾のダンディズムが見えてくる。夕爾三十歳の作。この年に妻・都を娶った.

夜学は、夜学校の意もあるが夜におこなう勉学、学問のこともいう。この句は、秋の灯の下で書に親しむ夕爾の静謐なすがたを彷彿とさせる。その灯へ青い翅を持った虫が飛来し、夕爾にまとわりつく。学問は己を律し、孤独を友として修めなくてはならない。 そこへ突然の闖入者である。 けれども、夕爾はこの虫を厭うてはいない。「青」には「未熟」の含意もある。 学問に 身を焦がす夕爾は、秋の夜の孤愁をわかちあうために青い虫を灯下の友にしたのである。

養蚕は春・夏・秋の三回行われる。秋蚕は三番蚕と呼ばれ、飼育期間が短く品質が劣る。夕爾は秋蚕の幼虫が精妙に糸を吐きながら繭籠りをするさまを見つめている。幼虫は一心不乱の行いの中でまもなく蛹になり、成虫となって次の世代を生む夢を見ている。夕爾の詩想が「未来をうたがはず」と表現せしめたのである。けれども繭を完成させた蚕は乾燥、煮沸され、蛹のまま命を奪われて糸を繰られる。「うたがはず」の惜辞の裏側にこの不条理への夕爾の嘆かいと哀憐の情が畳み込まれているのである。

骨董品の真贋を見極めるのは難しい。生活骨董や古美術は、骨董屋が長年練り上げてきた鑑定眼だけでなく学者による科学的分析などを経て判定されることもある。
 その壺は人を惹きつけて止まないものか、或いは言い伝えで上品とされてきたものか謎である。たとえ贋作であってもホンモノを凌ぐ佳品もあるのだから厄介だ。いろんな論があったが、答えは出ていなかったのだろう。ところが“にせもの”と判り、秋の夜長、憑き物が落ちたように壺を見つめる。夕爾句では珍しく諧謔に富む作。

夕爾の最寄りの駅は、福山と塩町を結ぶ福塩線の中ほどにある万能倉(まなぐら)駅。単線で一時間に一、二本運行するのどかなローカル線である。踏切を渡ろうとしたら突然遮断機が下りてきた。足止めを食って、あたりを見わたすと末枯れの景色が広がっているのに気づいたのだ。
 「…下りぬ」から「うらがるる」への転換が秋から冬への移ろいを暗示している。そして上五「だしぬけに」は下五の「うらがるる」へと掛かり、夕爾の秋を惜しみ、冬を迎えんとする心象風景を重層的にしている。

夕爾は枯野へ分け入ってゆく。身も心も枯色に染まりながら孤独に堪えているのである。けれども、かれには詩と俳句がある。生きてゆく“よすが”があるのである。その頼みとするものを象徴して「わがこころには蒼き沼」と表現した。
 夕爾は作品の中でブルーを「青」「蒼」「碧」「あを」と使い分けている。「蒼」は草木が茂るあおい色を表す。この句の「沼」は実景ではないが、夕爾の救いとしてこころの中でひそやかに漣を立てているのである。

 この句は「毛糸をあむ人」、「馬車を繰る人」、「馬車の拵え」が抽象化されている。
この馬車は農具と作物を乗せるありきたりの荷馬車ではないだろうか。その荷台に馬を進める人の妻がのっている。妻が家族の毛糸を編みはじめると馬車はゆくりなくも海沿いの道に出たのだ。農家の夫婦は明るい海の陽光を浴びながら馬車の揺れに身をまかせている。
 この十七文字のなかに自然美、労働美、人間愛が凝縮されているのである。

 

木々がすっかり葉を落とし、山は眠っているようである。その山を見つめていた夕爾はおもむろに目を閉じた。すると今まで眼前にあった山よりも眼裏の山の残像のほうが深く眠っているようなのだ。山は名の通ったものでなく、日頃見慣れた山ではないだろうか。しばらく目を閉じていると山は夕爾の眼裏ぁら心の奥に蔵され、温められている。この句を反芻していると心地よく、やすらかに眠りにいざなわれてゆくようだ。